バルセロナからアテネまで

実家のビデオデッキが壊れた。
パナソニックの「BSれんたろう」で「1992年オリンピック公式スポンサー」マークが付いている。
当時にしてはものすごく高かったのではないか、と想像されるのだが、一度もBSチューナー機能を使われることもなく、その生涯を終えることとなった。
最期の時には、甥っ子が入れたアンパンマンのビデオ(テレビ録画)を再生中に画像が乱れ、ビデオテープが出てこなくなった。分解してみたが、テープの取り出しはできなかった。
一応、ヘッドは回ることはできるようなのだが、歯車かカムか何かがおかしくなったのか。ともあれ、テープが取り出せないのでは、ビデオデッキとしての役目を果たさない。
ただ、実家のビデオデッキは実はTVチューナーとしても使われていた。理由は、「テレビのチューナーが壊れていてテレビ愛知が映らない」からだそうで。
壊れたという理由でビデオデッキを放り出したところ、「とっとこハム太郎が見れない!」と甥っ子たちが騒ぎ出して大変なことになるところだったが、テレビのチャンネル設定・チューナー設定が間違っていただけなので、あっさりと治った。
ちなみにテレビは1985年製造だった気がするが、もちろんマニュアルもリモコンも紛失済み。
本体のボタンだけでなんとか調整ができるのでよいのだが、今時は全部リモコンでしかできないよなあ。
ビデオデッキが壊れてしまったので、どうしようかと思っていたら、もう一台、三菱のF1という同時代のものがあった。自分が使っていたデッキだ。
ところが、こいつでビデオテープを再生しようとすると、画面が映らない。
「外部」とかいう文字は綺麗に出るので、接続間違いとか言うものではないと思うが、チューナーとか再生部とかが壊れている可能性が高い。単にヘッドが汚れている可能性もないことはないが。
どうせリモコンがないと何の設定もできないし、リモコンはどこに行ったかわからないし、ということで、これも一緒に粗大ゴミ行きの運命となった。
これで実家のリビングからはビデオデッキが姿を消すことになった。
しかし、おそらく、再びビデオデッキが、さらにはHDD/DVDレコーダがこのリビングに鎮座することもないだろう。
父親は自分の専用テレビとビデオデッキを自分の部屋に持っているし、母親はテレビをそんなに見ないからだ。

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