チャット中毒

佐世保の小学生殺人事件、チャットが原因じゃないかとか言われてますが。
かれこれネットチャットを初めて10年が経とうとしているチャット中毒患者として言わせていただけば、確かに子供にチャットは危険な世界やもしれん。
いい大人ですら、ちょっとした冗談のつもりの一言が人間関係を大きくひび割れさせる原因になったりするのだから、多感な子供ならなおさらのことであろう。
だからといって、子供がチャットをするのを禁止する、ということはあってはいけないし。
チャットというのは便利なコミュニケーションツールなのだから、なんとかして、チャットのマナーだとか、人間関係の作り方とか、そういうのを教えていくことが大切だと思う。
今、子供の頃からそういうことをやっておけば、これから5年、10年後になって、掲示板荒らしやblogに意味不明で不快なコメントを残していく輩を少しでも減らせると思うのです。

オンラインソフト作家として思う

とある有名なファイル交換ソフトの作者が著作権法違反幇助かなんかの罪で起訴された。
自業自得だと思っている。目を付けられないように、もっとうまいやり方をするべきだったと思う。
もしくは、目を付けられても逃げられるように、あらかじめ味方を付けておくべきだった。
とはいっても、いかなる理由を付けてでも、警察は逮捕したかったのだと思う。
逮捕・起訴の理由はこじつけだと思っている。警察を全面的に支持はしていない。
でも、逮捕されたことに異議はない。
開発者に悪意−現行の著作権法への挑戦、現行ビジネスモデルへの挑戦、つまり違法行為の助長−があった、ように思うからだ。悪意をもって開発されたソフトウェア、つまり、コンピュータウイルスと同じ発想、だと思っている。
その意図を隠していればよかったものの、残念ながら、しっかりとログに書き残され保存されている。そこがヘタだったと思っている。
やはり、この手の真意は心のうちに秘めておくに限る。
一方、著作権法に立ち向かうために、真っ向勝負を挑み、200万ユーザーを確保し、社会現象にまですることができたが、志半ばにして玉砕した「名誉の戦死」とも感じてはいる。
ただ、現行の著作権ビジネスのあり方を考え直させることには一役買ったと思うが、いかんせん、その先がなかった。「これが新しいビジネスのモデルだ」という提案ができていない。
やっぱり、コンピュータウイルスと発想が同じに思えるのだ。弱点を突いて、攻撃をしているに過ぎない。そこからは何も生み出していない。だから、嫌われてしまった。
ところで、個人的には、あのソフトはトロイの木馬に近いと思っている。しかも困ったことに、ユーザーが自ら進んでインストールしている。
自分のPCに何がダウンロードされているのかも知らずに、他の人のPCに違法コンテンツを届ける、いわば、踏み台にされてしまっているかもしれない、ということを知りながら使っている。
となれば、踏み台にされたサーバーやPCの管理者の責任も問われうる昨今、ユーザーがどうなるかを知っていてセキュリティホールを自ら造ってしまっていたとしたら、それは確実に起訴対象に成りうると考えている。
さて、オンラインソフト作家として、ソフトウェアを公開している手前、今回の件が自分にどれほど影響があるかちょこっとは考えた。
実を言うと、ファイル交換ソフトウェアを公開している。ザウルスの赤外線で1対1通信するものだが。P2Pソフトとも言えなくもない。
あれを悪意を持って使えば、違法コンテンツの交換にだって使えるのだろう。あれを使って大々的に違法コンテンツの交換でもやられたら、自分が著作権法違反幇助の罪で起訴されることもあり得るだろう。
また、チャットソフトも公開している。アレを使って児童売春の斡旋をしたユーザーがいたとかしたら、幇助だと言われてしまうのかもしれない。
一部のオンラインソフト作家は、すべてのソフトウェアが、同様に幇助の罪に問われる可能性があるという理由で、自分のソフトウェアを公開停止するという動きに出ているようだ。
今回の事件に対する一つの抗議の形なのだと思う。自由を奪われることに対する抵抗行動だ。
ただ、思うのだが、いまさら公開停止にしたところで遅いのではないか、と。
つまり、インターネット上にはアーカイブとして存在しており、P2Pネットワークに流されていれば、そのソフトは消えることはない。
もし、ある悪意あるソフトウェアが今、公開を停止したからと行って、それ以前の罪が消えるとは思えない。
ウイルスソフトの作家はいつまでも追われ続けるのだ。
あくまで、個人的な意見だが、公開停止にしても何も変わらないし、何を訴えているのかが不透明になってしまわないだろうか?ユーザーからすれば、作家が責任逃れをしようとしているだけとも映ってしまうこともあるだろう。
自分の目からは、公開を停止するというのは、権力の脅しに屈しているように映る。
ソフトウェアの作成、公開の自由を唱えるのであれば、毅然として公開を続けるべきではないだろうか。
だから、我がソフトたちはそのまま公開を続ける。
九割五分は、停止するのが面倒だ、というのもあるのだけれど。更新するの面倒だし。
ところで、今回、個人的に注目しているのは、ソフトウェアの開発に研究室の機材を使ったかどうか、というところだ。そのうち、マスコミは取り上げてくれるのだろうか?
もし、あのソフトが研究室の機材ーPCでもFD1枚でもーを使って開発したとなれば、これは資産流用ということになって、大きな問題になるんだが。どちらかというと、そこがどうなってるか、知りたい。